ヤスダはじめてストーリー
我々ヤスダ電気商会は、今年でちょうど50年を迎える老舗業務用冷凍庫販売会社でございます。
ヤスダの歴史は、「築地」と「まぐろ」とは切っても切れない関係を持っております。
ヤスダのスーパーフリーザーは築地品質
創業者故保田義三郎は戦後、米軍の通訳官として外務省に勤務していたが、父親が鮮魚商であったため、数年間鮮魚商をさせられました。
しかし、将来電化製品の時代が来ることを想定し実弟と共同経営で昭和31年(株)月島テレビ商会を開業しました。
昭和36年に独立して(株)ヤスダ電気商会を設立し、販路を築地市場の仲卸人や鮮魚商仲間に求めました。
一般サラリーマンには高嶺の花であったテレビ、冷蔵庫、エアコンなど良く売れました。
築地市場内に展示場を借り、仲卸人、買出し人を相手に一般家電品や冷蔵ショーケース等を販売していましたが、末弟が三井物産に勤務しておりその関係で三井物産よりGE社製の冷凍庫を仕入れて販売したところ、当時は鮮魚の凍結技術が未発達であった為、冷凍魚類はごく限られた商品(海老、蛸など)しかなく冷凍庫の販売に大変な労力を要しました。
おりしも高度成長が始まり、暮れになると正月用食材が9月~10月頃の価格より3割から5割も値上がりすることになり、値上がり前に仕入れするのに冷凍庫が必要になりました。昭和40年代初めの国産冷凍庫はアイスクリームのショーケースだけ、弊社が扱うアメリカ製の冷凍庫も-20℃~-25℃です。
まぐろ問屋さんから、せめて3ヶ月ぐらい保存できる冷凍庫をといわれ、アメリカの医療機器メーカー、ハリス社より-60℃~-85℃の冷凍庫を輸入販売しましたが。価格が高すぎる、温度も-85℃は必要ない、価格が安ければ購入したいの声が多く、弊社で安く頑丈な冷凍庫YASUDSA Super Freezerの開発を始め、現在のYEシリーズになりました。
ヤスダ発のまぐろフリーザー
ヤスダのスーパーフリーザーは、冷凍まぐろの歴史とともに発展しております。
まぐろは、1960年代より、冷凍技術の発展に伴いまぐろの品質劣化を止めることのできる-40~-50℃前後による超低温凍結可能な遠洋船による漁が盛んになります。 この漁では、漁獲されたまぐろは、ただちに-50℃で超低温保管され、まぐろの品質を落とすことなく、陸揚げされるようになりました。
陸揚げされたまぐろは、築地などの市場を通し、冷凍保管会社や仲買人の手に渡ります。
そこで、求められたのが、この遠洋船と同じようにまぐろの品質劣化を落とすことのない、超低温保管可能な業務用冷凍庫です。
仲買人はじめまぐろのプロの要求に応えるために、いち早くまぐろも保存できるフリーザーを開発したのが我々ヤスダ電気商会です。
ヤスダスーパーフリーザーは、
日本で最も目の肥えたまぐろ仲買人から支持され続ける「築地品質」のフリーザーです。